マーケティングスキル

プロフィール

初めまして、ココです。

強く自立した女性に憧れてシャネルさんからココを拝借してます。

ニックネーム:ココ

年齢:45歳

家族構成:夫、男児1人(小学5年生)

居住地:埼玉県

職業:会社員

趣味:九星気学、着物の着付け、ガーデニング

このブログは母の介護と仕事を両立するためにWEBマーティングを学ぼうという志で書き始めました。

私の今日までを少しお話しさせてください。

幼少期

7月3日 夏の盛りに生まれました。

3人姉妹の真ん中、負けず嫌い、 頑固でへそ曲がりの次女です。

父は消防士、母は私が幼い頃は専業主婦、やがてパートに出て、さらに私が中学生になるころには正社員で働きだしました。家はもともと農家で畑や田んぼをやっていたので、母は家事と自分の仕事だけでなく、農家の手伝いもしました。
父は長男だったので、母は昭和の時代の典型的な「長男の嫁」という役割を果たしていました。

気難しい舅姑といっしょに暮らすって大変だったと思います。
おじいちゃん おばあちゃんがいっしょにいる生活は趣があっていいけど、我慢させられることは多くて。
母の苦労や我慢は私のそれとは比べようもないものだったと思います。

祖父母は厳格で、古いしきたりやら、世間体が一番大事という考え・・・だったと思います。
そんな価値観を押し付けられ、子供の頃の私は家の中は窮屈だなと感じていました。
親戚・近所付き合いも義理堅くやっていたので、商売をやってるわけでもないのに来客が多い家でした。

おかげで小さい頃から、お客さまが来たら机を拭いてお菓子とお茶を出すという習慣が身について、おもてなしをするのは今でも得意です。

幼稚園の頃まではおとなしめな性格。
小学生に上がる頃には、既に積極的な性格になっていたと思います。
3つ上の姉と4つ下の妹が母に似て美人でした。
世間(親戚や近所)は心無く比較してきます。「あなただけ違う顔」「お姉ちゃんは美人なのに…」傷つけるつもりはないのでしょうけど、すごく嫌な気分になりました。

幼心に 姉や妹に対して、たぶん劣等感みたいなものを常に感じていました。

ただし、家以外、家族親戚以外ではそんな劣等感を感じる必要はなく、常に多くの友達に囲まれて、どんどん社交的な子に育っていきます。

姉とは特に比較されたので、姉に負けたくないという気持ちが小中学生くらいまでの勉強のエネルギーになっていたと思います。

そういえば、こうやって
負の感情をポジティブなエネルギーに変換するという術
ずっと昔から使っていた気がします。

高校・大学時代

高校生活は屈託なく遊び、勉強した記憶はありません。
1年浪人して早稲田大学社に入学。
世間体が一番大事な祖父母は満足していました。

このとき、姉や妹に対して抱いていた劣等感みたいなものからは解放されような気がします。

ただ入学してからも、やっぱりほとんど勉強した記憶はなく、単位ギリギリで何とか卒業。サークルで築いた友人関係以外は何も残ってないような。

唯一覚えていることは、
「必然の定義」で、「偶然と偶然が交差したときそれが必然になる」
そんな風な社会科学の教授のお話し。

本当にそれだけしか残ってないんです。
学べる環境は高いレベルで整っていたはずなのに、もったいない4年間を過ごしました。

司法試験に真剣に向き合わなかった後遺症

志だけは高く弁護士になりたいという夢があり、卒業と同時に司法試験のための予備校に通いはじめ、就職はしませんでした。

なので、まあまあの就職氷河期だったと思いますが、就職活動の厳しさも正社員として働く厳しさも、そして社会人としての常識も知らないまま結構な歳を重ねることになります。

寝る間も惜しんで勉強するはずだったのに、徐々に勉強に集中できなくなりました。実家暮らしで、お金もほとんど必要ないのに、アルバイトをしてみたり。やがて派遣社員としてフルタイムで働くようになりました。資格取得のための勉強と両立どころではなく、ほぼ普通に独身生活を謳歌する派遣社員になっていました。

30歳目前に父が心筋梗塞の発作で亡くなりました。このことさえ転機にならず、司法試験とは真剣に向き合わないままでした。

都内で派遣社員で働くと自分が困らない程度に稼げました。将来のことなど、そんなに真剣に考えず能天気でした。この ”夢に本気で向き合わなかった後遺症” みたいのものを今でも克服できずにいる私がここにいます。

家を継ぐ

 

姉も妹も私より、早く結婚してしまったので、私が実家を継ぐ?苗字を継ぐ?という流れになりました。姉も妹もそれぞれのタイミングで、それぞれの相手とそのご家族に交渉?しましたが、相手が苗字を変えて婿になってくれるということにはならなかったみたいです。婿を取るって結構高いハードルです。

私は33歳で当時付き合っていた彼と結婚して、お婿さんに入ってもらいました。母は三人の娘を育て上げ、後継者もできたとさぞかし安堵したと思います。

家族や親戚が婿入りを喜んでいるのをいいことに、司法試験は挫折したことさえ曖昧なままにしてしまいました。ただ、自分自身は逃げたんだということをはっきりと自覚しています。

だけども、「親の望む十分なことを成し遂げたからいいよね」と心のどこかで言い訳をしたりしていました。

元々は負けず嫌いだったくせに、諦めるということに慣れはじめていました。

子育てと仕事の両立

結婚して1年後に長男が産まれました。

産休が終わると、失業保険をもらうためという不純な動機ですぐに仕事を探しはじめ、現在勤めている派遣会社のパート社員となりました。子供ができて 住宅ローンも組んでいて、旦那さんに頼ればいいという性分でもないし、子供の教育資金も貯めたい。初めて安定した収入を得たい、貯蓄もしたい、そう思うようになりました。自分の事だけどうにかすればいいという働き方ではいけないと思うようになりました。

最初は子供が1歳に満たなかったので週4扶養内の時短勤務で働きました。仕事内容はノルマのない営業職みたいなもの。

保育園もスムーズに決まったので、1年経過後にフルタイムの契約社員になり、そこからまた4年経過後正社員登用されました。

こだわって決めた仕事ではないけど、努力をして結果が出れば評価してもらえるという働き方にとてもやりがいをを感じていました。
資格がなくても、望んでいた年収もらえるじゃん、どんな仕事もこなせる適応力もってるじゃんと自信のようなものも感じていました。

とんでもなく激務ですが、この会社で働き続け10年が経とうとしていました。
このまま、この仕事を続けて、管理職も目指してみようかななんてうっすら思っていました。子供のことを母に見てもらっていたので、相当の熱量で仕事に向き合えたのです。

母の介護

そんな矢先、母の病気が発覚します。脳腫瘍でした。

1度目の手術ではすっかり回復したので、再発しましたが2度目も大丈夫、そう思って手術に臨みました。ところが、退院してきた母は違いました。夜中に出かけようとしたり、1人で散歩に出ては転んだり、転べば縫うほどの怪我をしたり、骨折したり。お風呂にも1人では入れなくなっていました。生活全般に介助が必要なうえ、昼夜逆転の生活。

いよいよ仕事をこなしながら、母の面倒を見ることに限界を感じ、介護休業を取ることにしました。休業中に介護認定の申請をして、リハビリに通い始めて運動が習慣化すれば、元の体力に戻って痴呆症のような症状も改善してくれるかなと思っていました。休業はマックス3ヶ月のリミット。3ヶ月もあれば、様々整うだろうなと。

休業中の不安と今後の働き方どうしよう???

仕事を長期間休むことは不安でしたし、せっかくならこの期間に少しでも仕事以外のスキルを身につけたいと考えました。営業会社の激務で、がむしゃらに働きながら、家事育児とさらに介護を両立することは現実的ではないとも思いました。もちろん趣味などに割く時間は介護が始まる前からほとんどありませんでした。

介護はきっと長丁場になるだろうし、自分のやりたいことだって我慢したくない。母の介護と両立できるお仕事はないかなと転職を意識し始めました。

そんな風に考えた時、WEBマーケティングで稼ぐという講座を知り、受講開始。

それなのに、母の症状はどんどん悪化するばかり。いよいよ母の様子がおかしく家の中でも迷子になるような状態。全く目が見えなくなっていたのです。主治医に定期検査の予定を早めてもらうと、結果は最悪でした。

腫瘍は再発していて、放射線治療も再再手術の選択肢もない、余命はあと数ヶ月と言われました。即時入院指示がありましたが、改善のための治療の手段はないとのことでしたので入院はさせずに少しでも一緒にいられることを優先して入居施設を探し始めました。入院させたら、面会もほとんどできなくなる。病院に預けることには抵抗がありました。

余命宣告を受けてからは、私の優先事項はどう考えても、母のことで勉強は二の次となりました。急に光も感じない世界にいる母はどんな思いで毎日を過ごしているのかな?そう考えると苦しいですし、実際、四六時中目が離せない状態。勉強は手につきませんでした。盲目でも入れる施設が見つかり、簡易ベットを持ち込んで一緒に寝泊まりしました。それを許容してくれる施設でした。

母の最期を看取り、WEBマーケターへの覚悟を決める

そして医師の宣告通り3ヶ月で亡くなってしまいました。

母が息を引き取ってから、様々な後悔が尽きず、心の整理もつきませんが、母を深く愛し最期を看取りましたので、今 固い決意のもと改めて、勉強を再開します。

きっと母も私が決めたことを今度こそ諦めずやり通すということを望んでいると思います。

諦めちゃダメ、後悔しない生き方をしなさい、老後を待ってやりたいことをやるなんて悠長なことは言ってられないよ

そう母が言ってくれている気がします。

1年後に副業で30万円、2年後には独立して介護と両立 完全在宅月収100万円を目指します!

こんな目標を掲げ、スタートを切りました。既に周回遅れです。

施設の入居と同時に介護休業制度の復職期限が到来。
母の施設入居のタイミングで復職もしましたし、

母はもういなくなってしまったので、だいぶ事情は変わりましたが、諦めずに続けようと思います。

今回は諦めない!続ける!!

制度として利用した介護休業。元の会社に戻ったものの、復職してなんとなく感じるキャリアの断絶。今までがむしゃらに自分のプライベートと家族さえも犠牲にして走り続けてきたのに、軌道修正しきれない

だけども、この違和感こそ、私にとってチャンス。訪れるべくして訪れた必然の流れ。

人生は長くない、気力体力を消耗して働くことだけの毎日 そんな生き方はしたくない、母の早すぎる死に直面して、つくづくそう思う。そんな働き方で定年を迎えるなんて、たとえ潤沢な老後資金が残せたとしても、ちっとも理想じゃない!

家族のためと がむしゃらに働いて収入を得る今までの働き方は、本当の意味で家族のためにはならない、むしろ家族を犠牲にしていた。自分の生活と人生も豊かになる働き方を選びたい、働き方を選べるスキルを身に付けたい。自分の大切な人に介護が必要になった時には迷わず、介護を優先できるような働き方をしたい。

WEBマーケターという働き方がそれを叶えてくれる。

今回は絶対に諦めない!続ける!!

WEBマーケターへの成長記録ときどき母の思い出話 お付き合いいただけたら幸いです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願い致します。